勘ちがい

久しぶりに、池波さんの「剣客商売」を読み返しました。

やっぱり、池波さんの文体はとても読みやすいです。

隠れ蓑の中に、勘違いの一文がありました。

 

ぽんと灰吹きへ煙管を落とした小兵衛が、

「弥七。人の世の中は、みんな、勘ちがいで成り立っているものなのじゃよ。」

と、いった。

「大先生、まさか……?。」

「お前ほどの御用聞きが、そのことに気づかぬのはいけないよ。いいかえ弥七。

それほどに人が人のこころを読むことはむずかしいのじゃ。ましてや、この天地の摂理を見極めることなぞ、なまなかの人間にはできぬことよ。なれど、できぬながらも、人とはそうしたものじゃと、いつも、わがこころをつつしんでいるだけでも、世の中はましになるものさ」

 

池波さんの文章には、人が生きて行く上で重要な指針になるような文節が多いです。

勘ちがいで成り立つ世の中。まさしくではないでしょうか?

 

そう言えば、先日お話させていただいた社長さんがこんな話をされていました。

 

「近頃は、サラリーマン化ではないのかもしれないけど、こうしたらどうだろう、こうならどうかな?とこちらがいくら言っても、自分の意見を言える社員が少ない。どうしてもワンマンにならざるを得ないんだよね。」

 

「社長、それは社長が考えているのはビジネスで、社員の皆さんが考えているのは仕事だからではないですか?仕事は与えられるもの、ビジネスは創り出すもの、と考えれば分かりやすいと思います。仕事をビジネスまで持っていこうと考えることのできる社員を育てなければいけないのではないでしょうか。」

 

最近良く聞く話は、与えられた仕事をきちんとこなせる社員はいても、それ以上に考えることのできる社員がいないということです。

むつかしいところですが、社長自身がバイアスを掛けているためにそうなっているところもありますし、教育的な部分が不足している場合もあります。

 

この場合の勘ちがいは、仕事とビジネスの違いを理解していらっしゃらないことかもしれません。この場合必要なのは、社員の皆さんが仕事をビジネスに変えることができるような力を付けるための教育ではないでしょうか?